、急に途中で云って彼は手を叩いた。しかし、もう清江は、そんなことなどどうでも良いという風に、
「おばこ来もせず、用のない、
たんばこ売りなど、ふれて来る。」
おそらく清江の歌など聞いたのは参右衛門も、初めてなのではあるまいかと、私は思った。およそ歌など謡いそうに思えぬ清江である。清江が謡いやめると参右衛門は自分も一寸後から真似て謡ってみたが、これはダミ声でとても聞けたものではなかった。彼はまたすぐ清江にやれやれと迫った。すると、また清江は謡った。
夜半のしんとした冷気にふさわしい、透明な、品のある歌声だった。調子にも狂いが少しもなかった。静かだが底張りのある、おばこ節であった。それも初めは、良人を慰めるつもりだったのも、いつか、若い日の自分の姿を思い描く哀調を、つと立たしめた、臆する色のない、澄み冴えた歌声に変った。私は聞いていて、自分と参右衛門と落伍しているのに代って、清江がひとりきりりと立ち、自分らの時代を見事に背負った舞い姿で、押しよせる若さの群れにうち対《むか》ってくれているように思われた。
「うまい、うまい、うまい、うまいぞオ。」
と、参右衛門は喜んでまた手を叩いたが
前へ
次へ
全221ページ中202ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング