み出した夏菜類の瑞瑞しい葉脈――雨が霽れたり降ったりしている。
寺の和尚、菅井胡堂氏がおはぎを持って来てくれた。私の部屋――この参右衛門の奥の一室は和尚が少童のころまだこの家の豪勢なときに誦経に来て以来五十年ぶりらしく、庭を眺め、「ほほう。」という。
すると、突然、泉水の上に突き出た竿の先に、眼の高さでただ一つぶら下った剽軽《ひょうきん》な南瓜を見て、
「はッはッははッ。」と哄笑した。
胡堂氏の話によると、村には二つとない、見事だったこの庭の良石と植木は、隣村の何兵衛に瞞《だま》され尽《ことごと》く持ち去られたとのことである。今、壊されたその跡に、ぶらりと垂れた南瓜の表情は、和尚には、何事か自然のユーモアとなって実り下った、真の笑いだったにちがいない。私はこういう笑いを聞いたのは初めてだ。ナンセンスの高級さ、ふかさは、このような孤独な南瓜のぶらりと下ったお尻の大きさをいうのだろう。これはまた、徳川夢声の、芸に似ている。まことに夢声の芸の酒脱さは、破れた日本の滴りのようなものである。
九月――日
初めて西瓜《すいか》を割る。今年は例年よりも二十日気候が遅れているとのことだ。久左衛門は、毎朝九時ごろになると必ず私に会いにやって来る。何の用もない、ただ遊びに来るだけだ。私は東京にいても、この朝の時間を潰されることほど苦しいことはない。それもこの老人が現れると、定《きま》って十二時まで動かない。私は一番自分にとって苦痛なことを、ここでは忍耐しているのだ。私は人が朝来たときは、その日一日死んだつもりになるのが習慣だったが、ここではそれが毎日だ。そこで、このごろ私は講習会に出席したつもりになって、この老人から農業について学ぶことにした。それにしても、これから以後ここにいる限り、この教授の出席が毎日続くのかと思うと溜息が出る。
「お困りなら今勉強中だといって、お断りしなさいよ。」と、妻は私のひそかな溜息を見て云った。
「僕は気が弱いんだね。どうも、それだけは云いかねるよ。あのにこにこした顔を見ちゃ、ひとつこの爺さんに殺されてやれ、と思うから不思議だ。お前断ってくれ。」
「じゃ、今度見えたら云いますわ。」
「しかし、一寸待ってくれ。あの爺さんの云うことは、こっそりノートをとって置きたくなることもあるんだが、ノートをその場でとると、こっちの職業がすぐ分っちまうからね。そ
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