、ほくほくする。たまの休日には庭の草ひき、草刈り、庭掃除で、小牛と山羊をひっ張り廻して遊ぶのが何より愉しみなようである。弟の十二になるのが何か悪さをすると、天作のしたことにして知らぬふりだ。そして、代りに天作が参右衛門から叱られる。私は五時に起きるがときどき同じ白土工場へ出ている隣家の少年が、
「天作どーん。」
と垣根の外から誘う声がする。すると、
「おう。」
と、応える天作の元気な声は、一日一度の発声のようで朝霧をついて来る。何の不平もない幸福そうな、実に穏かな天作のその眼を見るのは、また私には愉しみだ。これは地べたの上を匐《は》い廻っている人間の中、もっとも怨恨のない一生活だ。他は悉《ことごと》くといってもいい、誰かに、どこかで恨みの片影を持って生活しているときに、上空では自己を忘れた精密な死闘を演じ、下のここでは、戦争を忘れた平和な胃薬掘りの一白痴図が潜んでいたのだ。
飛騨地方では白痴が生れると、神さまが生れたといって尊崇するということだが、そういう地方も一つは在って良いものだ。
九月――日
別家、久左衛門の家には、機械工として熟練抜群の次男が工場解散となって都会から帰って遊んでいる。年は本家の白痴と同年だ。白痴の天作が一家の生計を支えた中心であるときに、別家では反対であるということが、二家の間に少し均衡を失いかけて見える。久左衛門の次男は、十三のとき以来ひとり都会に出ていたので、農事を今からすることは不可能だ。長男がこの弟の無職を憂い顔で、砂利を積んだ牛車を運び、駅からの真直ぐな路を往ったり来たりしている。麻疹で亡くした子供の初盆をすませたばかりの頬に、鬚がのびている。若い嫁は柔順に壁土を足でこね、ひたひたと鳴るその足音の冷やかさに驟雨が襲って来る。虫の声声が昂まる。
参右衛門の広い家には誰も人がいない。薪のくすぶっている炉の傍に、薬湯がかかっていて、蝿が荒筵の条目《すじめ》を斜めに匐っているばかりだ。梨の炉縁の焼け焦げた窪みに、湯呑が一つ傾いたまま置いてある。よく洗濯された、継ぎ剥ぎだらけの紺の上衣が、手擦れで光った厚い戸にかかり、電灯がかすかに風に揺れている。槽に蔭干しされた種子類が格子の傍に並べてあって、水壺の明り取りから柿の生ま生ましい青色が、べっとりした絵具色で鮮明に滲み出ている。蝿の飛びまう羽音。馬鈴薯の転がった板の間の笹目から喰
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