を伸ばしていたのである。彼は一日も早く栖方に会ってみたくなった。おそるべき青年たちの一塊をさし覗《のぞ》いて、彼らの悩み、――それもみな数学者のさなぎが羽根を伸ばすに必要な、何か食い散らす葉の一枚となっていた自分の標札を思うと、さなぎの顔の悩みを見たかった。そして、梶自身の愁いの色をそれと比べて見ることは、失われた門標の、彼を映し返してみせてくれる偶然の意義でもあった。
ある日の午後、梶の家の門から玄関までの石畳が靴を響かせて来た。石に鳴る靴音の加減で、梶は来る人の用件のおよその判定をつける癖があった。石は意志を現す、とそんな冗談をいうほどまでに、彼は、長年の生活のうちこの石からさまざまな音響の種類を教えられたが、これはまことに恐るべき石畳の神秘な能力だと思うようになって来たのも最近のことである。何かそこには電磁作用が行われるものらしい石の鳴り方は、その日は、一種異様な響きを梶に伝えた。ひどく格調のある正確なひびきであった。それは二人づれの音響であったが、四つの足音の響き具合はぴたりと合い、乱れた不安や懐疑の重さ、孤独な低迷のさまなどいつも聞きつける足音とは違っている。全身に溢《あ
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