と思えば思えた。それも、今の高田の話そのものだけを事実としてみれば、希望と幻影は同じものだった。
「しかし、そんな青年が今ごろ僕の色紙を欲しがるなんて、おかしいね。そんなものじゃないだろう。」
と梶は云った。そして、そう思いもした。
「けれども、何といっても、まだ小供《こども》ですよ。あなたの色紙を貰ってくれというのは、何んでも数学をやる友人の中に、あなたの家の標札を盗んで持ってるものがいるので、よし、おれは色紙を貰って見せると、ついそう云ってしまったらしいのです。」
梶は十年も前、自宅の標札をかけてもかけても脱《はず》されたころの日のことを思い出した。長くて標札は三日と保《も》たなかった。その日のうちに取られたのも二三あった。郵便配達からは小言の食いづめにあった。それからは固く釘《くぎ》で打ちつけたが、それでも門標はすぐ剥《は》がされた。この小事件は当時梶一家の神経を悩ましていた。それだけ、今ごろ標札のかわりに色紙を欲しがる青年の戯れに実感がこもり、梶には、他人事《ひとごと》ではない直接的な繋《つな》がりを身に感じた。当時の悩みの種が意外なところへ落ちていて、いつの間にかそこで葉
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