の嘱目《しょくもく》だと説明した。高田の鋭く光る眼差《まなざし》が、この日も弟子を前へ押し出す謙抑《けんよく》な態度で、句会の場数を踏んだ彼の心遣《こころづか》いもよくうかがわれた。
「三たび茶を戴《いただ》く菊の薫《かお》りかな」
 高田の作ったこの句も、客人の古風に昂《たか》まる感情を締め抑えた清秀な気分があった。梶は佳《よ》い日の午後だと喜んだ。出て来た梶の妻も食べ物の無くなった日の詫《わ》びを云ってから、胡瓜《きゅうり》もみを出した。栖方は、梶の妻と地方の言葉で話すのが、何より慰まる風らしかった。そして、さっそく色紙へ、
「方言のなまりなつかし胡瓜もみ」という句を書きつけたりした。

 栖方たちが帰っていってから十数日たったある日、また高田ひとりが梶のところへ来た。この日の高田は凋《しお》れていた。そして、梶に、昨日《きのう》憲兵が来ていうには、栖方は発狂しているから彼の云いふらして歩くこと一切を信用しないでくれと、そんな注意を与えて帰ったということだった。
「それで、栖方の歩いたところへは、皆にそう云うよう、という話でしたから、お宅へもちょっとそのことをお伝えしたいと思いまし
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