れが、この栖方の検閲にあって礎石を覆えされているとは、これもあまりに大事件である。梶にはも早や話が続かなかった。栖方を狂人と見るには、まだ栖方の応答のどこ一つにも狂いはなかった。
「君の数学は独創ばかりのような感じがするが、君は零《ゼロ》の観念をどんな風に思うんです。君の数学では。僕は零《ゼロ》が肝心だと思うんだが、どうですか。」
「そこですよ。」栖方《せいほう》はひどく乗り出す風に早口になって笑った。「おれのは、みんなそこからです。誰一人分ってくれない。この間も、それで喧嘩《けんか》をしたのですが、日本の軍艦も船も、みな間違っているのです。船体の計算に誤算があるので、おれはそれを直してみたのですが、おれの云うようにすれば、六ノット速力が迅《はや》くなる、そういくら云っても、誰も聞いてはくれないのですよ。あの船体の曲り具合のところです。そこの零の置きどころが間違っているのです。」
 誰も判定のつきかねる所で、栖方はただ一人孤独な闘いをつづけているようだった。殊に、零点の置きどころを改革するというような、いわば、既成の仮設や単一性を抹殺《まっさつ》していく無謀さには、今さら誰も応じるわけ
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