池の底を胸に描いた。彼は衣の裾から滴る血の一線を床石の上に引きながら、長く緩慢に池の方へうねつてゐる石階を下つていつた。と、途中で彼の膝はがくりと前に折れた。彼は酒甕を抱いたまま、崩れた切石の隙から延び上つてゐる草の上へ転がつた。彼は起き上らうとして手に触れた立物に身を支へると、それは軟な一握の草だつた。彼は再び転がつた。が、彼の優れた智謀は咄嗟の間、彼の動脈の切断口を酒甕の口に着けしめた。間もなく、血は、ガルタンのために受けた不幸な彼の生涯を、その酒甕の中に盛り始めた。
「ガルタンよ、吾に倣へ。ガルタンよ、滅ベ。」
 血は刻々に酒甕の底から、彼の確信ある復讐の微笑をその表面に映しながら浮き上つた。それと同時に、恰もそれに伴奏するかのやうにガルタンの祈りの声は、断滅しながら黒まつて長く続いた葡萄園の上から流れて来た。
「ガルタンよ、吾に倣へ。ガルタンよ、滅ベ。」カンナの頭は酒甕の口から切石の上へ辷つて落ちた。酒甕は顛覆した。血は彼の全身に降りかゝると、酒の香りを上げつゝ段階を一つ一つと下つて池の方へ流れていつた。
「聡明な賢者は死んだ。ガルタンに下つた福音は自殺である。」
 翌日から市
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