不弥の宮は、爾らの守護の下に、明日の日輪のごとく栄えるであろう。」
周囲の宮人たちの手が白い波のように揺れると、再び一斉に柏の葉が投げられた。卑弥呼と卑狗の大兄は王宮の人々に包まれて、奏楽に送られながら、白洲を埋めた青い柏の葉の上を寝殿の方へ返っていった。群衆は歓《よろこ》びの声を上げつつ彼らの後に動揺《どよ》めいた。手火《たび》や松明《たいまつ》が入り乱れた。そうして、王宮からは、※[#「酉+璃のつくり」、第4水準2−90−40]《もそろ》や諸白酒《もろはくざけ》が鹿や猪の肉片と一緒に運ばれると、白洲の中央では、※[#「くさかんむり/意」、第3水準1−91−30]苡《くさだま》の実を髪飾りとなした鈿女《うずめ》らが山韮《やまにら》を振りながら、酒楽《さかほがい》の唄《うた》を謡《うた》い上げて踊り始めた。やがて、酒宴と舞踏は深まった。威勢良き群衆は合唱から叫喚《きょうかん》へ変って来た。そうして、夜の深むにつれて、彼らの騒ぎは叫喚から呻吟《しんぎん》へと落ちて来ると、次第に光りを失う篝火と一緒に、不弥の宮の群衆は、間もなく暁の星の下で呟《つぶや》く巨大な獣《けもの》のように見えて来た。
そのとき、突然|武器庫《ぶきぐら》から火が上った。と、同時に森の中からは、一斉に鬨《とき》の声が群衆めがけて押し寄せた。それに応じて磯《いそ》からは、長羅《ながら》を先駆に立てた一団が、花壇を突き破って宮殿の方へ突撃した。不弥の宮の群衆は、再び宵《よい》のように騒ぎ立った。松明は消えかかったまま酒盞《うくは》や祝瓮《ふくべ》と一緒に飛び廻った。そうして、投げ槍の飛《と》び交《か》う下で、鉾《ほこ》や剣が撒《ま》かれた氷のように輝くと、人々の身体は手足を飛ばして間断なく地に倒れた。
長羅はひとり転がる人波を蹴散らして宮殿の中へ近づくと、贄殿《にえどの》の戸を突き破って寝殿の方へ馳《か》け込《こ》んだ。広間の蒸被《むしぶすま》を押し開けた。八尋殿《やつひろでん》を横切った。そうして、奥深い一室の布被《ぬのぶすま》を引きあけると、そこには、白い羽毛の蒲団《ふとん》に被《おお》われた卑弥呼が、卑狗の大兄の腕の中で眠っていた。
「卑弥呼。」長羅は入口に突き立った。
「卑弥呼。」
卑狗の大兄と卑弥呼とは、巣を乱された鳥のように跳ね起きた。
「去れ。」と叫ぶと、大兄は斎杭《いくい》に懸った鹿の角を長羅に向って投げつけた。
長羅は剣の尖《さき》で鹿の角を跳ねのけると、卑弥呼を見詰めたまま、飛びかかる虎のように小腰《こごし》を蹲《かが》めて忍び寄った。
「去れ、去れ。」
長羅に向って鏡が飛んだ。玉が飛んだ。しかし、彼は無言のまま卑弥呼の方へ近か寄った。大兄は卑弥呼を後《うしろ》に守って彼の前に立《た》ち塞《ふさ》がった。
「爾は何故にここへ来た。」
と、大兄はいうと、彼の胸には長羅の剣が刺さっていた。彼は叫びを上げると、その剣を握って後へ反《そ》った。
「ああ、大兄。」
卑弥呼は良人《おっと》を抱きかかえた。大兄の胸からは、血が赤い花のように噴《ふ》き出《だ》した。長羅は卑弥呼の肩に手をかけた。
「卑弥呼。」
「ああ、大兄。」
卑狗の身体は卑弥呼の腕の中へ崩れかかって息が絶えた。
「我は爾を奪いに不弥へ来た。卑弥呼、我とともに爾は奴国《なこく》へ来《きた》れ。」
長羅は卑弥呼を抱き寄せようとした。
「大兄、大兄。」と彼女はいいながら、卑狗の大兄を抱いたまま床の上へ泣き崩れた。
そのとき、奴国の兵士《つわもの》たちは血に濡れた剣を下げて、長羅の方へ乱入して来ると口々に叫び合った。
「我は王を殺した。」
「我は王妃を刺した。」
「不弥の鏡を我は奪った。」
「我は宝剣と玉を掠《と》った。」
長羅は卑弥呼を床の上から抱き上げた。
「我は爾を奪う。」
彼は卑狗の大兄を卑弥呼の腕から踏み放すと、再び宮殿を突きぬけて広場の方へ馳け出した。卑弥呼は長羅の腕の中から、小枝を払った※[#「木+長」、第4水準2−14−94]《ほこだち》の枝に、上顎《うわあご》をかけられた父と母との死体が魚のように下っているのを眼にとめた。
「ああ、我を刺せ。」
焔《ほのお》の家となった武器庫は、転っている死体の上へ轟然たる響を立てて崩れ落ちた。長羅は卑弥呼を抱きかかえたまま、ひらりと馬の上へ飛び乗った。
「去れ。」
彼は馬の腹をひと蹴り蹴った。馬は石のように転っている人々の頭を蹴散して、森の方へ馳け出した。それに続いて、血に塗られた奴国の兵の鉾尖《ほこさき》が、最初の朝日の光りを受けてきらめきながら、森の方へ揺れて来た。
「卑弥呼。」と長羅はいった。
「ああ、我を刺せ。」
彼女は馬の背の上で昏倒《こんとう》した。
「卑弥呼。」
馬は走った。葎《むぐら》と薊《あざみ
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