燈油の皿に燃えている燈火は、一様に君長の方へ揺れていた。暫《しばら》くして、そこへ、数人の兵士たちを従えて現れたのは長羅《ながら》であった。
「父よ、我は勝った。我は不弥《うみ》の宮の南北から襲め寄せた。」と長羅はいった。
「美女は何処《いずこ》か。」
「父よ。我は不弥の宮に立てる生き物を残さなかった。我は王を殺した、王妃《おうひ》を刺した。」
「美女をとったか。」
「美女をとった。そうして、宝剣と鏡をとった。我の奪った宝剣を爾《なんじ》は受けよ。」
「美女は何処か。不弥の美女は潮の匂いがするであろう。」
長羅は兵士たちの持って来た剣と、苧《からむし》の袋の中からとり出した鏡と琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]《ろうかん》の勾玉《まがたま》とを父の前に並べていった。
「父よ。爾は爾の好む宝を選べ。宝剣は韓土の鉄。奴国《なこく》の武器庫《ぶきぐら》を飾るであろう。」
「長羅よ。我は爾の殊勲に爾の好む宝剣を与えるであろう。我に美女を見せよ。不弥の美女は何処にいるか。」
君長は御席《みまし》の上から立ち上った。長羅は一人の兵士に命じて言った。
「連れよ。」
卑弥呼は後に剣を抜いた数人の兵士に守られて、広間の中へ連れられた。君長は卑弥呼を見ると、獣慾に声を失った笑顔の中から今や手を延《のば》さんと思われるばかりに、その肥《こ》えた体躯《たいく》を揺り動かして彼女にいった。
「不弥の女よ。爾は奴国を好むか。我とともに、奴国の宮にとどまれ。我は爾に爾の好む何物をも与えるであろう。爾は亥猪《いのこ》を好むか。奴国の亥猪は不弥の鹿より脂《あぶら》を持つであろう。不弥の女よ。我を見よ。我は王妃を持たぬ。爾は我の王妃になれ。我は爾の好む蛙《かえる》と鯉《こい》とを与えるであろう。我は加羅《から》の翡翠《ひすい》を持っている。」
「奴国の王よ、我を殺せ。」
「不弥の女よ。我の傍に来れ。爾は奴国の誰よりも美しい。爾は鐶《たまき》を好むか。我の妻は黄金の鐶を残して死んだ。爾は鐶を爾の指に嵌《は》めてみよ。来たれ。」
「奴国の王よ。我を不弥に返せ。」
「不弥の女よ。爾は奴国の宮を好むであろう。我とともにいよ。奴国の月は田鶴《たず》のように冠物《かぶりもの》を冠っている。爾は奴国の月を眺めて、我とともに山蟹《やまがに》と雁《かり》とを食《くら》え。奴国の山蟹は赤い卵を胎《はら》ん
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