禰《すくね》とを従えて櫓《やぐら》の下で、痩せ細った王子の長羅《ながら》と並んでいた。長羅は過ぎた狩猟の日、行衛《ゆくえ》不明となって奴国の宮を騒がせた。彼は十数日の間深い山々を廻っていた。そうして、彼は不弥《うみ》へ出た。かつてあの不弥の宮で生命を断たれようとした若者は彼であった。
「長羅よ、見よ、奴国の女は美しい。」と君長はいって踊る婦女たちを指差した。「我は爾《なんじ》に妻を与えよう。爾は爾の好む女を捜せ。」
 長羅の父の君長は、妃《きさき》を失って以来、饗宴を催すことが最大の慰藉《いしゃ》であった。何《な》ぜなら、それは彼の面前で踊る婦女たちの間から、彼は彼の欲する淫蕩《いんとう》な一夜の肉体を選択するに自由であったから。そうして、彼は、回を重ねるに従って常に一夜の肉体を捜し得た。今また彼は、櫓の下から二人の婦女に眼をつけた。
「見よ、長羅、彼方《かなた》の女の踊りは美事であろう。」
 長羅の細まった憂鬱な眼は、踊りを外《はず》れて森の方を眺めていた。君長は空虚《から》の酒盃《さかずき》を持ったまま、忙しそうに踊りの中へ眼を走らせながら、再び一人の婦人を指差していった。
「彼方の女は子を産む猪《いのしし》のように太っている。見よ、長羅、彼方の女は子を胎《はら》んだ冬の狐のように太っている。」
 饗宴は酒甕《みわ》から酒の減るにつれて乱れて来た。鹿は酔《よ》い潰《つぶ》れた若者たちの間を漫歩しながら酢漿草《かたばみそう》の葉を食べた。やがて、一団の若者たちは裸体となって、榊《さかき》の枝を振りながら婦人たちの踊の中へ流れ込んだ。このとき、人波の中から、絶えず櫓の上の長羅の顔を見詰めている女が二人あった。一人は踊の中で、君長の視線の的となっていた濃艶な若い大夫の妻であった。一人は松明の明りの下で、兄の訶和郎《かわろ》と並んで立っている兵部《ひょうぶ》の宿禰の娘、香取《かとり》であった。彼女は奴国の宮の乙女《おとめ》たちの中では、その美しい気品の高さにおいて嶄然《ざんぜん》として優れていた。
「ああ長羅、見よ、彼方に爾の妻がいる。」と、君長はいって長羅の肩を叩きながら、香取の方を指差した。
 香取の気高き顔は松明の下で、淡紅《うすくれない》の朝顔のように赧《あか》らんで俯向《うつむ》いた。
「王子よ、我の酒盞《うくは》を爾は受けよ。」と、兵部の宿禰は傍からいって、
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