》の下から眼を光らせて彼女にいった。
「姫よ、我を爾の傍におけ、我は爾の下僕《しもべ》になろう。」
「爾は帰れ。」
「姫よ、我は爾に我の骨を捧げよう。」
「去れ。」
「姫よ。」
「彼を出せ。」
 使部たちは剣を下げて若者の腕を握った。そうして、彼を戸外の月の光りの下へ引き出すと、若者は彼らを突き伏せて再び贄殿の中へ馳け込んだ。
「姫よ。」
「去れ。」
「姫よ。」
「去れ。」
「爾は我の命を奪うであろう。」
 忽ち、兵士たちの鉾尖は、勾玉《まがたま》の垂れた若者の胸へ向って押し寄せた。若者は鉾尖の映った銀色の眼で卑弥呼を見詰めながら、再び戸外へ退《しりぞ》けられた。そうして、彼は数人の兵士に守られつつ、月の光りに静まった萩《はぎ》と紫苑《しおん》の花壇を通り、紫竹《しちく》の茂った玉垣の間を白洲《しらす》へぬけて、磯まで来ると、兵士たちの嘲笑とともに※[#「革+堂」、第3水準1−93−80]《ど》ッと浜藻の上へ投げ出された。一連の波が襲って来た。そうして、彼の頭の上を乗り越えて消えて行くと、彼は漸《ようや》く半身を起して宮殿の方を見続けた。

       四

「王子は帰った。」
「呪禁師《じゅこんし》の言はあたった。」
「峠《とうげ》を越えて。」
「矛木《ほこぎ》のように痩せて帰った。」
 奴国《なこく》の宮は、山の麓《ふもと》の篠屋《しのや》の中から騒ぎ始めた。そうして、この騒ぎは宮を横切って、宮殿の中へ這入《はい》って行くと、夜になって、神庫《ほくら》の前の庭園で盛大な饗宴となって変って来た。
 松明《たいまつ》を咬《か》んだ火串《ほぐし》は円形にその草野を包んで立てられた。集った宮人《みやびと》たちには、鹿の肉片と、松葉で造った麁酒《そしゅ》や※[#「酉+璃のつくり」、第4水準2−90−40]《もそろ》の酒が配《くば》られ、大夫《たいぶ》や使部《しぶ》には、和稲《にぎしね》から作った諸白酒《もろはくざけ》が与えられた。そうして、宮の婦人たちは彼らの前で、まだ花咲かぬ忍冬《すいかずら》を頭に巻いた鈿女《うずめ》となって、酒楽《さかほがい》の唄《うた》を謡《うた》いながら踊り始めた。数人の若者からなる楽人は、槽《おけ》や土器《かわらけ》を叩きつつ二絃《にげん》の琴《きん》に調子を打った。
 肥《こ》え太《ふと》った奴国の宮の君長《ひとこのかみ》は、童男と三人の宿
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