くと、杉戸を背にして突き立った。彼を目がけて※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1−88−72]《もい》が飛んだ。行器《ほかい》が飛んだ。覆《くつがえ》った酒瓮《みわ》から酒が流れた。そうして、海螺《つび》や朱実《あけみ》が立ち籠めた酒気の中を杉戸に当って散乱すると、再び数本の剣は一斉に若者の胸を狙って進んで来た。身屋《むや》の外では法螺《ほら》が鳴った。若者は剣を舞わせて使部たちの剣の中へ馳《か》け込《こ》んだ。そうして、その背後で痼疾に震えている宿禰の上へ飛びかかると、彼を真菰の上へ押しつけた。使部たちの剣は再び彼に襲って来た。彼は宿禰の胸へその剣の尖《さき》をさし向けると彼らにいった。
「我を殺せ、我の剣も動くであろう。」
使部たちは若者を包んだまま動くことが出来なかった。宿禰は若者の膝《ひざ》の下で、なおその老躯を震わせながら彼らにいった。
「我を捨てよ。彼を刺せ。不弥のために奴国の王子を刺し殺せ。」
しかし、使部たちの剣は振り上ったままに下らなかった。法螺はただ一つますます高く月の下を鳴り続けた。銅鑼《どら》が鳴った。兵士《つわもの》たちの銅鉾《どうぼこ》を叩いて馳せ寄る響が、武器庫《ぶきぐら》の方へ押し寄せ、更に贄殿《にえどの》へ向って雪崩《なだ》れて来た。
「奴国の者が宮に這入った。」
「姫を奪いに。」
「鏡を掠《と》りに。」
騒ぎは人々の口から耳へ、耳から口へと静まった身屋《むや》を包んで波紋のように拡った。やがて贄殿の内外は、兵士たちの鉾尖《ほこさき》のために明るくなった。
「奴国の者は何処へ行った。」
「奴国の者を外へ出せ。」
贄殿の入口は動乱する兵士たちの肩口で押し破られた。そのとき、彼らの間を分けて、一人卑弥呼が進んで来た。兵士たちは争って彼女の前に道を開いた。彼女は贄殿の中へ這入ると、使部たちの剣に包まれた若者の姿を眼にとめた。
「待て、彼は道に迷いし旅の者。」
「彼は奴国の王子である。」
「彼は我の伴ないし者。」
「彼の祖父は不弥の王母を掠奪した。」
「剣を下げよ。」
「彼の父は不弥の神庫《ほくら》に火を放った。」
卑弥呼は使部たちの剣の下を通って若者の傍に出た。
「我は爾に食を与えた。爾は爾の国へ直ちに帰れ。」
若者は踏み敷いた宿禰を捨てて剣を投げた。そうして、卑弥呼の前に跪拝《ひざまず》くと、彼は崩れた角髪《みずら
前へ
次へ
全58ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング