ウィニズム》のダーウィンを思《おも》えば、私《わたし》は一|個人《こじん》が他個《たこ》に敗北《はいぼく》することはそれは敗北《はいぼく》することではなくして神《かみ》への奉仕《ほうし》に思《おも》えてならないのだ。もしそれが敗北《はいぼく》なら、勝《か》ったものは必《かなら》ず誰《たれ》かに負《ま》けねばならぬ。AとQとの闘《たたか》いもそれは闘《たたか》いではなくして次《つぎ》に現《あら》われる天才《てんさい》への贈物《おくりもの》を製造《せいぞう》しているにすぎないと私《わたし》がいえば、今《いま》まで黙《だま》って私《わたし》の饒舌《しゃべ》っているのを聞《き》いていたリカ子《こ》は急《きゅう》に私《わたし》の胸《むね》の上《うえ》へ倒《たお》れて来《き》た。彼女《かのじょ》のこの感情《かんじょう》の転向《てんこう》がもしQと彼女《かのじょ》の上《うえ》に、再《ふたた》び幸福《こうふく》をもたらすなら――と私《わたし》が思《おも》っていると、それは意外《いがい》にもリカ子《こ》が私《わたし》へ転向《てんこう》して来《き》たことを示《しめ》していたのだ。なるほど個人《こじん》の負《ま》けることが負《ま》けることでないなら、QがAに負《ま》けたのではないごとく私《わたし》もまたQに負《ま》けたことにはならぬのだ。私《わたし》の今《いま》まで饒舌《しゃべ》っていたことは誰《たれ》のためでもない私《わたし》のためだったのだ。リカ子《こ》が私《わたし》の胸《むね》の上《うえ》へ倒《たお》れたのも多分《たぶん》私《わたし》が私《わたし》のためにいったのだと思《おも》ったからでもあったろうが、それにしても彼女《かのじょ》のその行為《こうい》は、私《わたし》が饒舌《しゃべ》っている間《あいだ》、彼女《かのじょ》がQのことを考《かんが》えずに私《わたし》のことを考《かんが》えていてくれた証拠《しょうこ》にだけは十|分《ぶん》になっているのだ。復活《ふっかつ》した愛《あい》――しかし、それは所詮《しょせん》私《わたし》が捻向《ねじむ》けたものではないか。私《わたし》は私《わたし》としてもう一|度《ど》彼女《かのじょ》をQへ捻戻《ねじもど》さねばならぬ。そうおもった私《わたし》は早速《さっそく》リカ子《こ》にお前《まえ》はわれわれ二人《ふたり》で製作《せいさく》したQの美徳《びとく》の使用法《しようほう》を間違《まちが》っているのだから、今日《きょう》から心《こころ》を入《い》れ変《か》えてQに慰安《いあん》を与《あた》えるよう、それでない限《かぎ》りお前《まえ》には永久《えいきゅう》に幸福《こうふく》はもうないのだ、幸福《こうふく》というものは知識《ちしき》の上《うえ》には絶対《ぜったい》にあったためしがなく、ただ自身《じしん》の頭《あたま》を下《さ》げて同化《どうか》することにあるばかりだというと、いった瞬間《しゅんかん》また私《わたし》はこれもますます私自身《わたしじしん》のためのみにいっているにすぎないことだと気《き》がついた。それで私《わたし》は結局《けっきょく》私《わたし》の注告《ちゅうこく》する言葉《ことば》は私《わたし》の心《こころ》の中《なか》から出《で》ていくにちがいないのだから、私《わたし》が私《わたし》のためにいっていると思《おも》わないで聞《き》いてくれ、私《わたし》のいうのは皆《みな》お前《まえ》のためにいっているので、私《わたし》のためだと思《おも》えば私《わたし》は死《し》んでもいわぬであろう位《くらい》のことは長《なが》い二人《ふたり》の生活《せいかつ》に対《たい》して敬意《けいい》を表《ひょう》する意味《いみ》でも思《おも》ってくれ、そうでない限《かぎ》り何《なん》のための二人《ふたり》の生活《せいかつ》だったのか分《わか》らぬではないかというと、リカ子《こ》は、それはあなたが近頃《ちかごろ》の私《わたし》について考《かんが》え違《ちが》いばかりをしているからだという。どういう考《かんが》え違《ちが》いかと聞《き》くと、あなたは私《わたし》の行《おこな》いを私《わたし》の醜《みにく》い部分《ぶぶん》からばかりで見《み》たがり、そのため折角《せっかく》の良《よ》い部分《ぶぶん》もあなたの私《わたし》を愛《あい》して下《くだ》さる心《こころ》のために払《はら》い落《おと》してしまっている。だからもっと私《わたし》から前《まえ》のように良《よ》い所《ところ》を探《さが》してくれ、そうでない限《かぎ》り自分《じぶん》にはもう幸福《こうふく》がないとまでいう。私《わたし》は急《きゅう》にリカ子《こ》にそんなことをいわしたのはQのどこがいわしめたのかともう一|度《ど》考《かんが》えたが、私《わたし》の考《かんが》えた
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