《さいだいもんだい》である岩漿分化《がんしょうぶんか》と母液《ぼえき》との関係《かんけい》の説明《せつめい》に這入《はい》って刺《さ》され出《だ》したのだが、Aは突然《とつぜん》、黒曜石《こくようせき》の結晶母液《けっしょうぼえき》となるべき硅酸《けいさん》の比重測定《ひじゅうそくてい》の方式《ほうしき》はダーウィンによって始《はじ》められたといい出《だ》したのだ。私《わたし》は無論《むろん》のことそこに並《なら》んでいた者達《ものたち》と同様《どうよう》に今《いま》までダーウィンを生物学者《せいぶつがくしゃ》だとばかり思《おも》っていたQにとって、これはあまりに意外《いがい》であった。もうそうなれば今《いま》までの問題《もんだい》であった熔岩中《ようがんちゅう》の各鉱物《かくこうぶつ》の比重差《ひじゅうさ》と沈澱位置《ちんでんいち》などということにかけてはAが最《もっと》もよく知《し》っているに定《きま》っているのだ。座《ざ》はそれから次第《しだい》に結晶学《けっしょうがく》の法則《ほうそく》そのままの形《かたち》をとり始《はじ》め、その各人《かくじん》の比重《ひじゅう》に従《したが》って沈《しず》み出《だ》した。私《わたし》はQよりはるかに劣《おと》っている自分《じぶん》を考《かんが》え、そのQよりもはるかに優《すぐ》れたAを考《かんが》え、そのAと自分《じぶん》との比較《ひかく》すべくもなき素質《そしつ》の距離《きょり》を考《かんが》えると、もう自分《じぶん》の運命《うんめい》さえ判然《はんぜん》となって眼《め》の前《まえ》に現《あらわ》れ出《だ》したのだ。私《わたし》の頭《あたま》はそれからいよいよ謙遜《けんそん》になる一|方《ぽう》であった。Qに対《たい》しては勿論《もちろん》のこと、他《た》の友人《ゆうじん》や隣人《りんじん》、長上《ちょうじょう》や年少《ねんしょう》の者《もの》に対《たい》してさえも私《わたし》は頭《あたま》を上《あ》げることが出来《でき》なくなった。私《わたし》が神《かみ》のことを考《かんが》え出《だ》したのもつまりはそのときからである。人《ひと》の肉体《にくたい》が皆《みな》それぞれ尽《ことごと》く同数《どうすう》の筋肉《きんにく》と骨格《こっかく》とを持《も》っているにも拘《かかわ》らず、この素質《そしつ》の不均衡《ふきんこう》は
前へ 次へ
全29ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング