何事《なにごと》であろうか、と考《かんが》えたのが神《かみ》への一|歩《ぽ》の私《わたし》の近《ちか》づきであった。今《いま》思《おも》えば私《わたし》がこの探索《たんさく》の方向《ほうこう》をもったということが、私達《わたしたち》友人《ゆうじん》の中《なか》での特長《とくちょう》ある素質《そしつ》であったことに気《き》がつくのだが、そのときはそれが私《わたし》の友人達《ゆうじんたち》からの敗北《はいぼく》の結果《けっか》だとばかりより思《おも》えなかった。それ以後《いご》の私《わたし》の謙譲《けんじょう》さは私《わたし》とQとの間《あいだ》を一|層《そう》親《した》しく接近《せっきん》せしめるばかりであった。Qは私《わたし》にはことごとに助力《じょりょく》を与《あた》え、私《わたし》の性格《せいかく》を友人中《ゆうじんちゅう》並《なら》ぶものもなく高《たか》いといい、私《わたし》の頭脳《ずのう》の速度《そくど》の遅《おそ》い原因《げんいん》を過度《かど》の頭《あたま》の良《よ》さが常《つね》に逆《ぎゃく》に働《はたら》くがためだと賞《ほ》め、発見力《はっけんりょく》や発明力《はつめいりょく》はQやAの頭《あたま》の働《はたら》きにはなく常《つね》に私《わたし》の頭《あたま》の逆廻転力《ぎゃくかいてんりょく》にあるという。それのみならず彼《かれ》は私《わたし》とリカ子《こ》を近《ちか》づけることに喜《よろこ》びを感《かん》じるかのように彼女《かのじょ》と私《わたし》とを労《いた》わるのだ。私《わたし》はQがそのようにも変《かわ》り始《はじ》めたことについては、それが彼《かれ》の美徳《びとく》の当然《とうぜん》の現《あらわ》れだと思《おも》う以外《いがい》には感《かん》じることが出来《でき》なかった。そうして、私《わたし》とリカ子《こ》とはいつの間《ま》にかQの寛大《かんだい》さに甘《あま》えて結婚《けっこん》する破目《はめ》になった。それは私《わたし》が彼女《かのじょ》を最初《さいしょ》に誘惑《ゆうわく》したのか彼女《かのじょ》に私《わたし》が誘惑《ゆうわく》されたのか分《わか》らぬのだが、その時《とき》家中《うちじゅう》に誰《たれ》も人《ひと》がいなかったということが二人《ふたり》の不幸《ふこう》の原因《げんいん》を造《つく》ったのだ。ただ私《わたし》はそのときい
前へ 次へ
全29ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング