しょ》を眺《なが》めて心《こころ》を沈《しず》め、あらゆる凡人《ぼんじん》の長所《ちょうしょ》を持《も》ち、心静《こころしず》かに悟得《ごとく》し澄《す》ましたような顔《かお》をし続《つづ》けてひそかに歎《なげ》き、闘《たたか》いを好《この》まず気品《きひん》を貴《とうと》んで下劣《げれつ》になり、――私《わたし》は私自身《わたしじしん》でまだかまだかと私《わたし》をやっつけ出《だ》すと、面前《めんぜん》のリカ子《こ》と一|緒《しょ》に兇暴《きょうぼう》に笑《わら》い出《だ》した。Qが陰《かげ》でひそかに私《わたし》の悪口《あっこう》をいったことが、今《いま》は私《わたし》に彼《かれ》への尊敬《そんけい》の念《ねん》を増《ま》さしめるだけとなった。しかし、それにしても私《わたし》のこの心《こころ》の動《うご》きは本当《ほんとう》であろうか。私《わたし》の物《もの》の見方《みかた》は間違《まちが》いであるとしても、おのれの痛《いた》さを痛《いた》さと感《かん》じて喜《よろこ》ぶ人間《にんげん》は私《わたし》だけではないであろう。私《わたし》の豪《えら》さ、もしそれがあるなら、私《わたし》は私《わたし》の弱《よわ》さを強《つよ》さと感《かん》じないことだけだ。私《わたし》はリカ子《こ》にいった。お前《まえ》はいつの間《ま》にやら私《わたし》のびっくりするような女《おんな》の知識《ちしき》を探《さが》して来《き》たが、それはお前《まえ》がお前《まえ》とQとを滅《ほろ》ぼしていく知識《ちしき》であるだけで、結果《けっか》は私《わたし》を一|層《そう》救《すく》い上《あ》げていくにすぎないのだ。私《わたし》はお前《まえ》の落《おと》していくものをいつも拾《ひろ》ってばかりいるのを知《し》らないのか。お前《まえ》はお前《まえ》の落《おと》しているものが何《な》んであるのか知《し》らないのか。しかし、いくらいってもリカ子《こ》はただ自身《じしん》の投《な》げた言葉《ことば》のために蒼《あお》ざめているだけで、終《しま》いには私《わたし》の膝《ひざ》の上《うえ》で泣《な》きながらもう再《ふたた》びQの所《ところ》へは戻《もど》らないといい出《だ》した。私《わたし》はもう一|度《ど》彼女《かのじょ》をQの所《ところ》へ帰《かえ》すために、また偽《いつわ》りを並《なら》べて苦心《くしん
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