があるのにちがいない。まことにそれは義理人情という世界に類例のない認識秩序の美しさの中にあるに相違ないと梶は思った。しかし、それにしてもかつてスイスにいるとき世の義理人情を踏み砕く無思想の発会式を行ったツァラアが、今その行為に内容を吹き与えたがごとき左翼の思想に新しさを発見したことは、再び完全に世の義理人情を否定する現実上の発会式を行ったようなものであった。つまり彼にあっては、彼の超現実主義と云う知性への反抗が一層反抗の度を強めた超現実主義になったまでだ。
集った者たちの間に葡萄酒が新しく注がれたとき、一人の女詩人が盛装して新しく這入《はい》って来た。一同はその方を振り返って軽く手を上げると、またそれぞれの会話をつづけていった。すると、今まで梶の横で誰とも話さなかったむっつりした一人の婦人が不意に梶に向って、
「日本人はどうして腹切りをするのです」
と訊ねた。梶は咄嗟《とっさ》のこととてすぐには返事出来なかった。もし外人の了解出来る適当な解釈をしようとすると、日本人の義理人情の細《こま》やかさから説明しなければならなかった。梶の横に通訳のようにいた友人は、
「日本人の腹切りは見栄《
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