の声よりも大きかった。犬はまだ二声三声吠えつづけたが家人が日本語の怒声を聞きつけると、初めてテラスへ出て来て犬を屋内へ引き摺《ず》り入れた。再び梶の周囲のテラスでは談話が高級な問題をめぐってそちこちで始まったが、しかし、梶にはそれらの話よりも犬に向って発した友人の日本語の怒声の方が遙《はる》かに興味深く尾を曳《ひ》いて感じられるのであった。
 犬の声が全く聞えなくなってからしばらくしてツァラア夫人が客たちの中へ現れた。絹の飛白《かすり》のような服に紅いバンドを締めた夫人は、葡萄酒《ぶどうしゅ》を一同に注《つ》ぎながら梶の傍《そば》まで来ると優しく梶に握手をして彼の横へ腰を降ろした。イヴァアル・クロイゲルの令嬢であるこのツァラア夫人は、集った婦人たちの中では最も優雅な人であったばかりではない、梶がそれまで見た多くのパリーの婦人たちの中でも第一流の美しい婦人であったが、その静な表情や品位のある眼もとは、あまり出歩かない日本の貴族のように血統の美しさを湛《たた》えていた。まことに幽艶《ゆうえん》な婦人である。
「どうぞ、これめし上れ」
 夫人は梶にときどき葡萄酒をすすめて自分も飲んだ。広間か
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