人物は流れの底を知っている。この受身の形は対象に統一を与える判断力を養っている準備期であるから、力が満ちれば端倪《たんげい》すべからざる黒雲を捲《ま》き起す。猫を冠《かぶ》っているという云い方があるが、この猫は静な礼儀の下で対象の計算を行いつづけている地下の活動なのであろう。まことに受身こそ積極性を持つ平和な戦闘にちがいない。
梶はツァラアに紹介されてから集った紳士淑女たちの円形に並んだ椅子の中に身を沈めた。会話はすべて巴里に進行している大罷業《だいひぎょう》の話ばかりだ。そのとき、左の方の円筒形をしている高い隣家のテラスから下の一団に向って犬がけたたましく吠《ほ》え立てた。ツァラアを囲んだ芸術家たちも、初めの間は思想上の会話をつづけていたが、だんだん高まる犬の声にも早や会話が聞きとり難くなって来た。犬を追い立てようにも間には断層のように落ち込んだ他家の庭がひかえている。一同はしばらく小さな声で口を鳴らせていた。しかし、相手は犬である。狂気のように吠え立て始めては利《き》くものではない。一同は苦笑をもらしてただ円塔の上を見上げているだけだ。
梶はこのときスイスに於けるツァラア一派の
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