年歳歳それぞれ成長しつつあるところを考えると、これらの子供が何をやり出すか計り知れぬ興味を覚えた。梶はヨーロッパにいるとき、自分の子供と同じ年齢の子を見ると近づいて公園などで遊んでみたが、特に日本の子供がヨーロッパの子供たちから劣っているとは思えなかった。それぞれこの両洋の子供たちは、各自の国の知性をたどってそのレールの上を成長していくだけの相違であった。梶はここに暗黙のうちに敷かれたレールの両極は一致すべきものと信じていたが、今のところ、いかなる国際列車もまだ乗り換え場所が幾つも必要だと思わざるを得なかった。梶は国際列車のレールは各国共通に一本のものであるべき筈《はず》だから、列車は乗り換える必要がないと教える学者たちには賛成出来なかった。殊に汽車には国国によって時間の相違があり、山川の相違によってレールに広軌と狭軌の差が明らかに存しているにも拘らず、レールの鉄材も日本製を使用すべからずと教えるものや、時間表まで各国同一の時間にすべしと主張する一派を見ると、ひどく暢気《のんき》な隠居のように見えるのだった。
ある日、梶は自分のいる温泉場を中心とした地方のレールの敷き方を検《しら》べてみた。一カ所を仔細《しさい》に見れば、そのレールは全国共通に通じた個所があるにちがいないと思ったからである。すると、意外なレールの素質が梶の眼の前に現れて来た。
その市は人口三万ほどある市である。周囲は米の産地として有名な地味|肥沃《ひよく》の庄内平野に包まれているので主産物は米であった。この市の領主はむかし徳川家と特殊に親密な関係があったから、維新の革命のときには領内の士族は当然徳川とともに滅亡すべき運命を持っていた。そこで領内の士族は立って朝廷と一戦を交える覚悟のおり、西郷隆盛がひそかにこの地へ乗り込んで来たのである。このとき家中に一人の傑物の家老があって、これが西郷と会談の結果ともに人格が相映じ、鉾《ほこ》を納めて無事家中を安泰ならしめた事実があった。しかし、このとき、謀叛《むほん》の証左を無くするため人知れず軍用金をある信用すべき商人の一人の手中に隠した。領主を中心とする士族の一団の生活費は、以来この商人の手中にあって今に至っているというのである。この噂《うわさ》はどこまで信用すべきものであるか誰にも分らない。どこまでも秘密から秘密へと落ち込んで消えていく筋合のものであった。しかし、領主をいまだに殿様と呼び、その前では平伏|叩頭《こうとう》する習慣を維持している士族一派を、市民たちは御家禄《ごかろく》派と呼び特殊階級として許していることは明らかな事実であった。この御家禄派の現在の生活費は、その一党からなる地方第一の倉庫の所有権から上って来ていた。倉庫は平野の大産物である米穀の保管が目的であって、保管倉庫の完備と人心の素朴さでこの地の米穀は全国第一の実質を備えていた。
しかし、ここに新しい別の倉庫が建ち起って来た。それは農民を主体とする産業組合の活動である。この組合は農民の手でなる米穀類の保管から売捌《うりさば》き交渉一切を引き受ける上に、金銭を貸し与えて肥料の供給までするのである。この便利な組織は自然に農民の心を引きよせるに充分であった。ところが、ここに困ったのは、その敵である御家禄派の衰微ではなく市の主要群団であるところの商人たちであった。農民たちの金銭がすべて産業組合の手中に落ちた結果は、市の商人の品物の売れなくなるのは当然である。たちまち商人の破産するものが続出して来た。梶の耳に這入って来た確かな検《しら》べによると、ほとんど商人の九割までが破産状態に瀕《ひん》しているということであった。しかし、さらに梶を驚かしたことは、その現象がこの地方のみならず日本全国に共通した農村都市の叫喚であるということだった。
梶は前からもそれは感じていたことであったが、それはこれほどまで深刻な変化をしているものとは思わなかった。政治季節になると、いつもの通り掲げられる米穀統制法という看板も、つまりは、地方の商人を破壊している産業組合の主態である農村を救えという声である。明らかに誰が見ても、農夫の作る米穀類をすでに存在している統一機関の手をもって統一し、仲介業者の手を無くすることの良い仕事であるのは分ったことだ。それにも拘《かかわ》らずこの統制法が、いまだに議会を通過しないという事実の裏には、商人団の中央機関の必死の破壊運動があるのだった。
農民を救うべきか商人を救うべきかという難問の前で、明答の出て来る筈はない。どちらも救えというためには、秩序組織の改革以外に良法はない。これは誰が考えたとて定ったことだ。現状維持を最も安全な思惑と考える筋合は、実は最も危険思想であるという奇怪な進行をなしつつ満員列車は馳けているのだった。ところが、梶のいるこの
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