地方には、新しい機関の発生を待ち望んでいる群衆以外に、これはまた変った形態が残っていた。それは領主の家老が隆盛の言に従い、明治政府の掌中に実権を譲ったとき、一戦を覚悟の決死隊の一団である。彼らは自身たちの領主がすでに明治に降《くだ》ったと知ると、明治の飯を食わずと連袂《れんべい》して山間の僻地《へきち》に立て籠《こも》り、今なお一団となって共産村を造っていた。ここでは一団が山野を開拓して田畑となし、共同の養蚕所を持ち、学校をその一部にあてた堅実質素な生活を維持しつつ、絶対に他の容喙《ようかい》を入れない純然たる態度を守って世を睥睨《へいげい》していた。誰が見ても、まさに共産党以上の牢固《ろうこ》さと単純さとがここにあった。しかし、これさえ国家は保護している。義理人情という日本の知性のこの二つの形の純潔さに対して、ヨーロッパの知性のいかなる最高のものがこれを笑い得るであろうか。――
 梶はこのように思いながら間もなく東京の自分の家へ帰って来た。

 梶が東京の我が家へ初めて戻ったときは季節は寒さに向っていた。彼が帰って家の周囲を見渡すと今までの広い空地はどこにもなくなり、東西南北家がぎっしり建っていた。僅《わず》か半歳《はんとし》あまりにこのように人家の密集する都市の膨脹力《ぼうちょうりょく》を思うと、半歳の間の日本の変化も実はこれと同じにちがいないと梶は思って驚いた。家の掃除《そうじ》をさせている間、梶は久しぶりに一人市見物に出ていった。すると、あれほど大都会の中心を誇っていた銀座は全く低く汚《きたな》く見る影もなかった。
「これが銀座だったのか」
 梶はしばらく街を見廻して立っていたが、寒そうに吹く風の中をモダンな姿で歩く人影も、どこの国の真似《まね》ともなく一種すすけた蕭条《しょうじょう》とした淋《さび》しさを湛《たた》えていた。梶は日本の文化は物の中側にある知的文化が特長だと常に思っていたが、しかし、外から見かけたこの貧寒さを取り除《の》けるためには、少なからざる虚栄心の濫費《らんぴ》をしなければ西欧に追っつけるものではなかった。内充して外に現れることが形式の本然であるならまだまだ日本の内側は火の車だと思った。
 梶は友人をある会社に尋ねて今日から東京へいよいよ落ちつくことを報《しら》せにいった。この友人は幾つもの会社の重役をしていた上に関西の財界の大立物を親戚すじにひかえていたから、日本の財界の動きにかけては誰より確実な早耳を持っていた。重役室で梶は友人に逢うと、自分のいなかった間に変化して来た裏面の動きを訊《たず》ねてみた。
「そうだ。君のいない間にがらりと変ってしまったぞ。たいへんな事になってしまったよ。税制改革で年に百万円|儲《もう》けるものは五十万円の税だよ。それも累進率だから、儲かれば儲かるほど出すのも上るわけさ、相続税だって財産の三分の二以上とられるんだ。こうなると二百万円の財産だって、孫の代には一文もなくなってルンペンになり下るという寸法になって来る。百円の収入以上のものには、もう皆かかって来るんだ。君も考えないといけないぜ」
 こういう友人の言を寝耳に水のごとく梶は聞いていた。
「それゃ、大革命が起ってるんじゃないか。まだ誰にも聞かなかったが本当か」
「誰が嘘を云うものか、まだ誰も気が附かんだけだよ。この二三日財界は大騒動だ。関西からは電報ばかりだが、誰もどうしていいか知らんのさ。こうなれば君、財産の隠しようがないからね。おまけに儲けたって仕様がないから今までの財界の玄人《くろうと》がみな尋常一年生になっちゃったんだ。現に新東が焦げつき相場でじっとしたままだよ。それが証拠じゃないか。上げも下げもならんのだよ。どうしていいんか分らないんだからね」
「しかし、それゃ、面白くなって来たね」
「面白いよ。僕の会社もこうなれば、機械に金をかけて良い品物を造るより仕様がなくなった。重役会議を昨日開いたんだが、僕はそれを主張したんだ。皆だい賛成だ。ボーナスもうんと出す。社員を遠足させたり、会をやって御馳走《ごちそう》して楽しませたりする方に、金をどんどん使うんだ。しかし、やりよったなア。大蔵省、とうとうやりやがった。豪《えら》いよ。もう金持連中、利子では食えなくなるからな。とにかく、ここ一週間どこの会社だって、それで重役会議ばかりだよ」
「議会はしかし通過するのかね」と梶もあまりの変化にまだ嘘のような気持ちだった。
「通過するさ。それゃもうちゃんと定《きま》ってるんだ。財界の大立物が重役をみなやめちゃったのもそれなんだよ。あ奴《いつ》らはそこがまた豪いとこなんだね。矢っ張りインテリの重役じゃなくちゃ駄目なんだよ。ヨーロッパはどうだね。近頃は」
「いや、そういう面白い話を聞いちゃ、ヨーロッパどころじゃないね。あっちの話
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