と何もかも忘れて了つた。一間程前で、朱の印を白い着物中にペタ/\押した爺が、檜傘を猪首に冠つて、彼を拝んでゐた。彼はその間ムシヤ/\頬張つてゐた。顔を揚げると、傍で小僧が指を食はへて、不思議さうに彼を見てゐた。
(何て小つぽい野郎だらう。だが此奴は呉れよらん。)彼は眼を爺様にむけた。爺は拝み終へて子供の頭を圧へながら云つた。
「さあ、さあ、拝まつしやれ。そんなに見たら眼がつぶれるぞ。」
 子供は圧へられてゐる頭の下から未だ彼をジロ/\見てゐた。軈て彼らは去つた。
(阿奴ら変梃なことをしやがる。何をしやがつたんだらう?)
 急に臀部が気持ち悪くなつた。彼は下腹に力を容れた。そして尾をあげるとボト/\と床が鳴つた。瞼が下りかけた。と石段を辷つて地べたの上を音もたてずに、すばらしい勢で走り過ぎた小さい影を見た。何かしら? と思つて過ぎた方をよく見ると、高い空で鳶が気持ちよささうに輪を描いてゐた。
(何だ、鳶か俺は又牛虻でも来やがつたのかしらと思つたら)そして彼は又眠らうとしたが、木の影から黄色な鯉が竿の尖端に食ひついて遊んでゐるのが眼につくと、それを瞶めてゐた。広い道が畑の間を真直に延びてゐ
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