榛名
横光利一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)褞袍《どてら》を
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)蠅[#「蠅」は底本では「繩」]
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眞夏の日中だのに褞袍《どてら》を着て、その上からまだ毛絲の肩掛を首に卷いた男が、ふらふら汽車の中に這入つて來た。顏は青ざめ、ひよろけながら空席を見つけると、どつと横に倒れた。後からついて來た妻女が氷嚢を男の額にあてて、默つて周圍の客の顏を眺めてゐる。あれはもう助からぬと私は思つた。私は良人の死顏を見たときに泣く妻女の姿をふと頭に浮べたが、急いでもみ消すやうに横を見た。もう私は考へたくはない。私は考へることからせめて一週間遁れたいと思つて一人早く都會を逃げ出て來たのだが、後から遲れて子供たちが私の後を追つて來ることになつてゐる。私は九ヶ月間つづけて來た仕事を昨夜し終へたばかりなので、何か大過を犯した後のやうな、何とも取り返しのつかぬことをした棄鉢氣味もあつたが、まだ人に知られてゐないといふ餘裕ある現状であつたから、なほ考へたくはないのである。それに疲勞も極限にまでいつてゐるのだ。
私の
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