る母親の肩を引っ張って、
「アッ、アッ。」といった。
 婦人は灸の方をちょっと見ると、
「まア、兄さんは面白いことをなさるわね。」といっておいて、また急がしそうに、別れた愛人へ出す手紙を書き続けた。
 女の子は灸の傍へ戻ると彼の頭を一つ叩いた。
 灸は「ア痛ッ。」といった。
 女の子は笑いながらまた叩いた。
「ア痛ッ、ア痛ッ。」
 そう灸は叩かれる度《たび》ごとにいいながら自分も自分の頭を叩いてみて、
「ア痛ッ、ア痛ッ。」といった。
 女の子が笑うと、彼は調子づいてなお強く自分の頭をぴしゃりぴしゃりと叩いていった。すると、女の子も、「た、た。」といいながら自分の頭を叩き出した。
 しかし、いつまでもそういう遊びをしているわけにはいかなかった。灸は突然犬の真似をした。そして、高く「わん、わん。」と吠《ほ》えながら女の子の足元へ突進した。女の子は恐《こ》わそうな顔をして灸の頭を強く叩いた。灸はくるりとひっくり返った。
「エヘエヘエヘエヘ。」とまた女の子は笑い出した。
 すると、灸はそのままひっくり返りながら廊下へ出た。女の子はますます面白がって灸の転がる後からついて出た。灸は女の子が笑えば笑うほど転がることに夢中になった。顔が赤く熱して来た。
「エヘエヘエヘエヘ。」
 いつまでも続く女の子の笑い声を聞いていると、灸はもう止まることが出来なかった。笑い声に煽《あお》られるように廊下の端まで転がって来ると階段があった。しかし、彼にはもう油がのっていた。彼はまた逆様《さかさま》になってその段々を降り出した。裾《すそ》がまくれて白い小さな尻が、「ワン、ワン。」と吠えながら少しずつ下がっていった。
「エヘエヘエヘエヘ。」
 女の子は腹を波打たして笑い出した。二、三段ほど下りたときであった。突然、灸の尻は撃《う》たれた鳥のように階段の下まで転った。
「エヘエヘエヘエヘ。」
 階段の上では、女の子は一層高く笑って面白がった。
「エヘエヘエヘエヘ。」
 物音を聞きつけて灸の母は馳《か》けて来た。
「どうしたの、どうしたの。」
 母は灸を抱き上げて揺《ゆす》ってみた。灸の顔は揺られながら青くなってべたりと母親の胸へついた。
「痛いか、どこが痛いの。」
 灸は眼を閉じたまま黙っていた。
 母は灸を抱いて直ぐ近所の医者の所へ馳けつけた。医者は灸の顔を見ると、「アッ。」と低く声を上げた。灸は死
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