たことがある。とにかく、もう老年の八百屋の主婦が、朝毎にペダルを踏んで通る高次郎氏の姿に見惚れるというようなことは、私もともに無理なく頷《うなず》くことが出来るのである。高次郎氏の容貌《ようぼう》には好男子ということ以外に、人格の美しさが疑いもなく現れていたからだった。老年の婦人というものはただの馬鹿な美男子に見惚れるものではない。
私はこんなに思うことがある。――人間は生活をしているとき特に観察などをしようとせず、ぼんやりとしながらも、自然に映じて来た周囲の人の姿をそのまま信じて誰も死んでしまうものだということを。そして、その方が特に眼をそばだてて観察したり分析したりしたことなどよりも、ときには正確ではなかろうかということをしばしば感じる。高次郎氏のことにしても、私は眼をそば立てて注意していたわけではなく、以下自然に私の眼に映じて来たことのみで彼のことを書きたいと思う。
高次郎氏は軍人の間ではかなり高名な剣客だということも、私の耳にいつか努力することなく聞えて来た。見たところ高次郎氏は無口で声も低く、性格も平凡なようだった。私のいるこのあたり一帯の風景が極《きわ》めて平凡に見え
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