奮をもって、殆ど間髪《かんはつ》の隙間《すきま》をさえも洩《も》らさずに追っ駈けて来るのである。このため彼女は、彼女の檻の中で製造する病的な理論の鋭利さのために、自身の肺の組織を日日加速度的に破壊していった。
 彼女の曾《かつ》ての円く張った滑《なめ》らかな足と手は、竹のように痩《や》せて来た。胸は叩《たた》けば、軽い張子のような音を立てた。そうして、彼女は彼女の好きな鳥の臓物さえも、もう振り向きもしなくなった。
 彼は彼女の食慾をすすめるために、海からとれた新鮮な魚の数々を縁側に並べて説明した。
「これは鮟鱇《あんこ》で踊り疲れた海のピエロ。これは海老《えび》で車海老、海老は甲冑《かっちゅう》をつけて倒れた海の武者。この鰺《あじ》は暴風で吹きあげられた木の葉である」
「あたし、それより聖書を読んでほしい」と彼女は云った。
 彼はポウロのように魚を持ったまま、不吉な予感に打たれて妻の顔を見た。
「あたし、もう何も食べたかないの、あたし、一日に一度ずつ聖書を読んで貰いたいの」
 そこで、彼は仕方なくその日から汚《よご》れたバイブルを取り出して読むことにした。
「エホバよわが祈りをききたま
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