ばかりいるんです」
「もう、そこらでやめてくれ。どちらも淋しいとしておこう。俺には締切りがある。今日書き上げないと、向うがどんなに困るかしれないんだ」
「どうせ、あなたはそうよ。あたしより、締切りの方が大切なんですから」
「いや、締切りと云うことは、相手のいかなる事情をも退けると云う張り札なんだ。俺はこの張り札を見て引き受けて了った以上、自分の事情なんか考えてはいられない」
「そうよ、あなたはそれほど理智的なのよ。いつでもそうなの、あたし、そう云う理智的な人は、大嫌《だいきら》い」
「お前は俺の家の者である以上、他から来た張り札に対しては、俺と同じ責任を持たなければならないんだ」
「そんなもの、引き受けなければいいじゃありませんか」
「しかし、俺とお前の生活はどうなるんだ」
「あたし、あなたがそんなに冷淡になる位なら、死んだ方がいいの」
 すると、彼は黙って庭へ飛び降りて深呼吸をした。それから、彼はまた風呂敷《ふろしき》を持って、その日の臓物を買いにこっそりと町の中へ出かけていった。
 しかし、この彼女の「檻の中の理論」は、その檻に繋《つな》がれて廻っている彼の理論を、絶えず全身的な興
前へ 次へ
全22ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング