も、雨の降っている所でなくちゃ行く気がしない」
「あたしも行きたい」と妻は云うと、急に寝台の上で腹を波のようにうねらせた。
「お前は絶対安静だ」
「いや、いや、あたし、歩きたい。起してよ、ね、ね」
「駄目だ」
「あたし、死んだっていいから」
「死んだって、始まらない」
「いいわよ、いいわよ」
「まア、じっとしてるんだ。それから、一生の仕事に、松の葉がどんなに美しく光るかって云う形容詞を、たった一つ考え出すのだね」
妻は黙って了った。彼は妻の気持ちを転換さすために、柔らかな話題を選択しようとして立ち上った。
海では午後の波が遠く岩にあたって散っていた。一|艘《そう》の舟が傾きながら鋭い岬《みさき》の尖端《せんたん》を廻っていった。渚《なぎさ》では逆巻く濃藍色《のうらんしょく》の背景の上で、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑《かみくず》のように坐っていた。
彼は自分に向って次ぎ次ぎに来る苦痛の波を避けようと思ったことはまだなかった。このそれぞれに質を違えて襲って来る苦痛の波の原因は、自分の肉体の存在の最初に於《おい》て働いていたように思われたからである。彼は苦痛を、譬《たと》えば砂
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