ただ汗が流れるばかりで結局身体はもとの道の上から動いていなかった。けれどもその大きな顔は、だんだん吉の方へ近よって来るのは来るが、さて吉をどうしようともせず、何時《いつ》までたってもただにやりにやりと笑っていた。何を笑っているのか吉にも分からなかった。がとにかく彼を馬鹿にしたような笑顔《えがお》であった。
翌朝、蒲団《ふとん》の上に坐って薄暗い壁を見詰《みつ》めていた吉は、昨夜夢の中で逃げようとして藻掻《もが》いたときの汗を、まだかいていた。
その日、吉は学校で三度教師に叱られた。
最初は算術の時間で、仮分数を帯分数に直した分子の数を訊《き》かれた時に黙っていると、
「そうれ見よ。お前はさっきから窓ばかり眺めていたのだ。」と教師に睨《にら》まれた。
二度目の時は習字の時間である。その時の吉の草紙《そうし》の上には、字が一字も見あたらないで、宮の前の高麗狗《こまいぬ》の顔にも似ていれば、また人間の顔にも似つかわしい三つの顔が書いてあった。そのどの顔も、笑いを浮かばせようと骨折った大きな口の曲線が、幾度も書き直されてあるために、真っ黒くなっていた。
三度目の時は学校の退《ひ》ける
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング