純粋小説論
横光利一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)錬達《れんたつ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)三四年来|捲《ま》き起って
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もし文芸復興というべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない、と今も私は思っている。私がこのように書けば、文学について錬達《れんたつ》の人であるなら、もうこの上私の何事の附加なくとも、直ちに通じる筈《はず》の言葉である。しかし、私はこの言葉の誤解を少くするために、少し書いてみようと思う。
今の文壇の中から、真の純粋小説がもし起り得るとするなら、それは通俗小説の中から現れるであろうと、このように書いた達識の眼光を持っていた人物は、河上徹太郎氏である。次に通俗小説と純文芸とを何故に分けたのか、別《わ》けたのが間違いだと云った大通《だいつう》は、幸田露伴氏である。次に、もし日本の代表作家を誰か一人あげよと外人から迫られたら、自分は菊池寛をあげると云った高邁《こうまい》な批評家は、小林秀雄氏である。今日の行き詰った純文学に於て以上のような名言が文
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