らぬ。このような小説構造の最因難な中で、一番作者に役立つものは、それは観察でもなければ、霊感でもなく、想像力でもない。スタイルという音符ばかりのものである。しかし、この音符を連ねる力は、ただ一つ作者の思想である。思想といっても、この思想を抽象的なものに考えたり、公式主義的な思考と考えるようなものには、アランの云ったように思想の何ものをも掴《つか》めないにちがいはないが、登場人物各人の尽《ことごと》くの思う内部を、一人の作者が尽く一人で掴むことなど不可能事であってみれば、何事か作者の企画に馳《は》せ参ずる人物の廻転面《かいてんめん》の集合が、作者の内部と相関関係を保って進行しなければならぬ。このときその進行過程が初めて思想というある時間になる。けれども、ここに、近代小説にとっては、ただそればかりでは赦《ゆる》されぬ面倒な怪物が、新しく発見せられて来たのである。その怪物は現実に於て、着々有力な事実となり、今までの心理を崩し、道徳《モラル》を崩し、理智を破り、感情を歪《ゆが》め、しかもそれらの混乱が新しい現実となって世間を動かして来た。それは自意識という不安な精神だ。この「自分を見る自分」と
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