人物ばかりが、自分こそ物事を考えていると人々に思わす小説であって、多くの人々がめいめい勝手に物事を考えているという世間の事実には、盲目同然であった。もしこのようなときに、眼に見えた世間の人物も、それぞれ自分同様に、勝手気儘《かってきまま》に思うだけは思って生活しているものだと分って来ると、突然、今までの純文学の行き方が、どんなに狭小なものであったかということに気づいて来るのである。もしそれに気がつけば、早や、日記文学の延長の日本的記述リアリズムでは、一人の人物の幾らかの心理と活動とには役には立とうが大部分の人間の役には立たなくなるのである。前にものべたように、人々が、めいめい勝手に物事を考えていることが事実であり、作中に現れた幾人かの人物も、同様に自分一人のようには物事を思うものでないと作者が気附いたとき、それなら、ただ一人よりいない作者は、いったいいかなるリアリズムを用いたら良いのであろうか。このとき、作者は、万難を切りぬけて、ともかく一応は幾人もの人間と顔を合せ、そうして、それらの人物の思うところをある関聯に於てとらえ、これを作者の思想と均衡させつつ、中心に向って集中して行かねばな
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