に転倒した。彼女は酒だ。彼は能子の唇を狙つて傾いて行く患者である。
 水滴型の自動車が、その膨れた尖端で、街を落下するやうに疾走した。久慈と能子がホテルへと行くのである。ガードの下腹。鉄の皮膚に描かれた粗剛な朱色の十字を指差して、能子は云つた。
「あなた、あたしはあれが恐いの。」
 久慈が振り向くとガードの上を貨物列車が驀進した。擦れ違ふオートバイ。電車の腹。警官の両手をかすめてトラツクが飛び上る。キヤナルの水面に光つた都会の足。下水の口で休息してゐる浚渫船。
「あなた、あたしは、あれが好きなの。」
 ホテルでは、クツシヨンの中から百貨店の匂ひがした。久慈は上着を脱いでテラスヘ立つた。噴水のアーチの中を二羽の鵞鳥が夢のやうに泳いでゐる。
「まア、あれを御覧なさいな。あれは古風な恋愛よ。あたしはあんなのを見てゐると、羽根枕を目茶苦茶に叩きつけてやりたくなるの。」
「君には情緒といふものがないんだね。」
「ええ、さう、あたしはあんな鵞鳥を見てゐると、この欄干の上で逆立ちしてみたくてならないの。」
「僕は君とは反対だ。先づここで煙草を吸つて、」
「あなたには進化といふものがないんだわ。もしあ
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