んで、五階へと急いで行く。鳥子は金属の中に、刺つた花のやうに浮いてゐた。近よる久慈の方へ指を上げながら、
「けふは冗談を仰言らないで。」
「僕は休憩時間だよ。」
「だつて、あたしはこれからなの。」
「五階まで昇つて蹴られては、降りられない。」
「まア、もう少しあちらへ行つて、」
「これほど放れてをれば、汗もかくまい。」
「あそこで人が、みてるぢやないの。」
「ぢや、これはいくらでございます?」
「はい、それは三十五銭でございますの。」
 久慈は爪切りを一丁買ふと十円紙幣を支払つた。
「お釣はお宅へ。」
 六階へ昇ると、笑つた容子が鏡の中に五人もゐる。
「どちらが君だ。」
「あら、今日の巡礼はお早いのね。」
「だから、練習と云ふものは、しておくものさ。」
「道理で能子さんが、おしやべりになつたのね。」
「それや、君だ。」
「あたしがおしやべりになつたつて?」
「誰だかそんなことを云つてたよ。」
「それや、あたしが、六階あたりにゐるからよ。」
「人里はなれて暮らしてゐると、下界のことが気になるな。」
「こんな所で、お婆さんにはなりたくないわ。」
「いや、物事は、高い所から見降ろすものさ。」
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