速力は鈍るだらう。
久慈は二階へ昇つて行つた。鬱子は半襟の中で胃袋のやうに動いてゐる。彼女は久慈にとつては永遠の女性の右脚だ。その癖彼を片肩に担いだまま、片足に重役を履いて馳け廻るのも美事である。
「あら、久慈さん、お暑いのね。」
「下はここよりなほ暑い。」
「ここも暑いわ。」
「もう一寸、笑つてくれ。」
「だつて、まだ氷も飲めないの。」
久慈は十円札を握らせて三階へと登つて行く。封筒の中に、レツテルのやうに埋つてゐるのは軽い桃子。
「もう少し、暴れなければ。」
「だつて、暑いわ。」
「だつて、ハンカチ位はあるだらう。」
十円札をハンカチに包んで投げ出すと、久慈は四階へと昇つて行つた。婚礼調度品の大鯛小鯛に挟まつて、丹子は汗をかいたまま夕暮の来るのを待つてゐる。
「まア、素通りするなんて。」
「今日は人がゐないぢやないか。」
「だから、寄つたつていいぢやないの。」
「人がゐなければ、人眼に付く。」
「五階へお急ぎになるのには、悪いわね。」
「四回で疲れて了つては、意気地がない。」
丹子は女中のやうにお饒舌だ。ここで掴まると、五階の会話が短かくなる。振り切り賃を鯛の腹の下へ押し込
前へ
次へ
全14ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング