こんなに骨の折れることだとは思はなかつた。さあどうぞ。」
 久慈の示した部屋の方へ、能子は扇子を使ひながら、ひらひら笑つた仮面のやうに這入つていつた。久慈は部屋の羽根枕にもたれかかると、黙つて能子の膝を軽く指さきで叩き出した。
「あなたは、あたしの着物が、よほどお気に召さないと見えるのね。これでもあたしは、あなたのお店でいただいたものなのよ」
「いや、これがそれほど大切な着物なら、いま一枚上げてもいい。」
「ええ、どうぞ、あたしはあなたとお逢ひしてると、着物がほしくて仕方がないの。これはきつと、あなたが上品なせゐなのね。もしあなたが野蛮人だつたら、あたしはあなたの前で、裸体になつて踊つてみるわ。」
「僕は一度君のさう云ふ所も見たいのだ。」
「まア、あなたはさう云ふときだけは、野蛮人に好意をお持ちなさるのね。」
「かう云ふ羽根枕の上へ並んだら、もう野蛮人の話だけはよし給へ。」
 久慈の片手が能子の胴に絡らんで来た。能子は久慈の膝の上へ飛び移ると、櫓を漕ぐやうに身体を前後に揺り動した。彼女の頭にささつたクリリツカスのヘヤピンが、久慈の眼鏡をひつ掻いた。彼は顔を顰めながら彼女の唇の方へ自分の
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