だ。実際そういう時には若者達は酒でも飲むより仕方のないときなのだがそれがこの酒のために屋敷の生命までが亡くなろうとは屋敷だって思わなかったにちがいない。
 その夜私たち三人は仕事場でそのまま車座になって十二時過ぎまで飲み続けたのだが、眼が醒めると三人の中の屋敷が重クロム酸アンモニアの残った溶液を水と間違えて土瓶の口から飲んで死んでいたのである。私は彼をこの家へ送った製作所の者達がいうように軽部が屋敷を殺したのだとは今でも思わない。勿論私が屋敷の飲んだ重クロム酸アンモニアを使用するべきグリュー引きの部分にその日も働いていたとはいえ、彼に酒を飲ましたのが私でない以上は私よりも一応軽部の方がより多く疑われるのは当然であるが、それにしても軽部が故意に酒を飲ましてまで屋敷を殺そうなどと深い謀みの起ろうほど前から私たちは酒を飲みたくなっていたのではないのである。酒を飲みたくなったときより私が重クロム酸アンモニアを造っておいた時間の方が前なのだから疑い得られるとすると私なのにも拘らず、それが軽部が疑われたというのも軽部の先ずひと目で誰からも暴力を好むことを見破られる逞しい相貌から来ているのであろう。
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