したものの一家はもう青ざめ切ってしまって言葉などいうものは誰もなく、私たちは私たちで賃金も貰うことが出来ないのだから一時に疲れが出て来て仕事場に寝そべったまま動こうともしないのだ。軽部は手当り次第に乾板をぶち砕いて投げつけると急に私に向って何ぜお前はにやにやしているのかと突きかかって来た。私は別ににやにやしていたと思わないのだがそれがそんなに軽部に見えたのなら或いは笑っていたのかしれない。確にあんまり主人の頭は奇怪だからだ。それは塩化鉄の長年の作用の結果なのかもしれないと思ってみても頭の欠陥ほど恐るべきものはないではないか。そうしてその主人の欠陥がまた私たちをひき附けていて怒ることも出来ない原因になっているということはこれは何という珍稀な構造の廻り方なのであろう。しかし、私はそんなことを軽部に聞かせてやっても仕方がないので黙っていると突然私を睨みつけていた軽部が手を打って、よしッ酒を飲もうといい出すと立ち上った。丁度それは軽部がいわなくても私たちの中の誰かがもう直ぐいい出さねばならない瞬間に偶然軽部がいっただけなので、何の不自然さもなく直ぐすらすらと私たちの気分は酒の方へ向っていったの
前へ 次へ
全45ページ中41ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング