しかし、私とても勿論軽部が全然屋敷を殺したのではないと断言するのではない。私の知り得られる程度のことは彼が屋敷を殺したのではないといい得られるほどのことであるより仕方がないのだ。もともと軽部は屋敷が暗室へ忍び込んだのを見ているからは、彼を殺害する以外に彼に秘密を知られぬ方法はないと一度は私のように思ったであろうから。そうして私が屋敷を殺害するのなら酒を飲ましておいてその上重クロム酸アンモニアを飲ますより仕方がないと思ったことさえあることから考えても、彼もそのように一度は思ったにちがいないであろうから。だが、酒に酔っていたのは私と屋敷だけではなくて軽部とて同様に酔っていたのだから彼がその劇薬を屋敷に飲まそうなどとしたのではないであろう。よしたとえ日頃考えていたことが無意識に酔の中に働いて彼が屋敷に重クロム酸アンモニアを飲ましたのだとするならそれなら或いは屋敷にそれを飲ましたのは同様な理由によって私かもしれないのだ。いや、全く私とて彼を殺さなかったとどうして断言することが出来るであろう。軽部より誰よりもいつも一番屋敷を恐れたものは私ではなかったか。日夜彼のいる限り彼の暗室へ忍び込むのを一番
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