のように聞えて来た。月のない暗い花園の中を一人の年とった看護婦が憂鬱に歩いていた。彼は身も心も萎《しお》れていた。妻の母はベランダの窓|硝子《ガラス》に頬をあてて立ったまま、花園の中をぼんやりと眺めていた。もう何の成算も消え失《う》せてしまったように。遠くの病舎のカーテンの上で、動かぬ影が萎れていた。時々花壇の花の先端が、闇の中を探る無数の青ざめた手のように揺らめいた。
十三
その夜、満潮になると、彼の妻は激しく苦しみ出した。医者が来た。カンフルと食塩とリンゲルが交代に彼女の体内に火を点《つ》けた。しかし、もう、彼女は昨日の彼女のようにはならなかった。ただ最後に酸素吸入器だけが、彼女の枕元で、ぶくぶく泡を立てながら必死の活動をし始めた。
彼は妻の上へ蔽《おお》い冠《かぶ》さるようにして、吸入器の口を妻の口の上へあてていた。――逃がしはせぬぞ、というかのように、妻の母は娘の苦しむ一息ごとに、顔を顰《しか》めて一緒に息を吐き出した。彼は時々、吸入器の口を妻の口の上から脱《はず》してみた。すると彼女は絶えだえな呼吸をして苦しんだ。
――いよいよだ。と彼は思った。
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