百合の花。ヘリオトロオプと矢車草《やぐるまそう》。シネラリヤとヒアシンス。薔薇《ばら》とマーガレットと雛罌粟《ひなげし》と。
「お前の顔は、どうしてそう急に美しくなったのだろう。お前は十六の娘のようだ。お前はいっぱいのスープも飲まないくせに、まるで鶏《にわとり》の十五、六羽もやっつけたような顔をしている。不思議な奴だ。さては、俺の知らぬ間に、こっそりやったと見えるな。」
「あの百合の花を、この部屋から出して。」と妻はいった。
 百合の匂いは他の花の匂いを殺してしまう。――
「そうだ、この花は、英雄だ。」
 彼は百合を攫《つか》むと部屋の外へ持ち出した。が、さて捨てるとなると、その濡れたように生き生きとした花粉の精悍《せいかん》な色のために、捨て処がなくなった。彼は小猫を下げるように百合の花束をさげたまま、うろうろ廊下を廻って空虚の看護婦部屋を覗《のぞ》いてみた。壁に挾まれた柩《ひつぎ》のような部屋の中にはしどけた帯や野蛮なかもじ[#「かもじ」に傍点]が蒸された空気の中に転げていた。まもなくここで、疲れた身体を横たえるであろう看護婦たちに、彼は山野の清烈な幻想を振《ふ》り撒《ま》いてやる
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