一条の詭弁
横光利一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)下《くだ》らない。
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 その夫婦はもう十年も一緒に棲んで来た。良人は生活に窶れ果てた醜い細君の容子を眺める度に顔が曇つた。
「いやだいやだ。もう倦き倦きした。あーあ。」
 欠伸ばかりが梅雨時のやうにいつも続いた。ヒステリカルな争ひが時々茶碗の悲鳴と一緒に起つた。
 或る日、良人の欠伸はその頂点に達した。彼は涙が浮んで来た。
「下《くだ》らない。下《くだ》らない。下《くだ》らないツ! 何ぜこんな生活が続くのだツ!」
 彼は癇癪まぎれに拳を振つて立ち上つた。と、急に演説をするやうに出鱈目なことを叫び出した。
「これほども古く、かくも飽き飽きする程長らく共に棲んだが故に、飽きたと云ふ功績に対してさへも、放れることが不可能だと云ふことは、」
ここまで来ると、
「おやツ!」と思つた。
 何か素敵なことを饒舌つたやうな感じがした。何と自分が云つたのか? 彼はもう一度同じことを繰り返へして云つてみた。
「これ程も古く、かくも飽き飽きする程長らく共に棲んだが故に、飽きたと云ふ功績に対してさへも放れることが不可能
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