人口の減少と、人民の怨嗟《えんさ》と、戦いに対する国民の飽満とを指摘してナポレオンに詰め寄った。だが、ナポレオンはヨーロッパの平和克復の使命を楯《たて》にとって応じなかった。デクレスは最後に席を蹴《け》って立ち上ると、慰撫《いぶ》する傍のネー将軍に向って云った。
「陛下は気が狂った。陛下は全フランスを殺すであろう。万事終った。ネー将軍よ、さらばである」
 ナポレオンはデクレスが帰ると、忿懣《ふんまん》の色を表してひとり自分の寝室へ戻って来た。だが彼はこの大遠征の計画の裏に、絶えず自分のルイザに対する弱い歓心が潜んでいたのを考えた。殊にそのため部下の諸将と争わなければならなかったこの夜の会議の終局を思うと、彼は腹立たしい淋しさの中で次第にルイザが不快に重苦しくなって来た。そうして、彼の胸底からは古いジョセフィヌの愛がちらちらと光を上げた。彼はこの夜、そのまま皇后ルイザにも逢わず、ひとり怒りながら眠りについた。
 ナポレオンの寝室では、寒水石の寝台が、ペルシャの鹿を浮かべた緋緞帳《ひどんちょう》に囲まれて彼の寝顔を捧《ささ》げていた。夜は更《ふ》けていった。広い宮殿の廻廊からは人影が消えて
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