がチョッキの下から、きらきらと夕映《ゆうばえ》に輝く程強く彼の肩を揺《ゆ》すって笑い出した。
 ネーにはナポレオンのこの奇怪な哄笑《こうしょう》の心理がわからなかった。ただ彼に揺すられながら、恐るべき占《うらない》から逃《の》がれた蛮人のような、大きな哄笑を身近に感じただけである。
「陛下、いかがなさいました」
 彼は語尾の言葉のままに口を開《あ》けて、暫《しばら》くナポレオンの顔を眺めていた。ナポレオンの唇《くちびる》は、間もなくサン・クルウの白い街道の遠景の上で、皮肉な線を描き出した。ネーには、このグロテスクな中に弱味を示したナポレオンの風貌《ふうぼう》は初めてであった。
「陛下、そのヨーロッパを征服する奴は何者でございます?」
「余だ、余だ」とナポレオンは片手を上げて冗談を示すと、階段の方へ歩き出した。
 ネーは彼の後から、いつもと違ったナポレオンの狂った青い肩の均衡を見詰めていた。
「ネー、今夜はモロッコの燕《つばめ》の巣をお前にやろう。ダントンがそれを食いたさに、椅子から転がり落ちたと云う代物《しろもの》だ」

        二

 その日のナポレオンの奇怪な哄笑に驚いたネ
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