として、皇帝ナポレオン・ボナパルトが射られた獣のように倒れている姿を眺《なが》めていた。
「陛下、いかがなさいました」
 ボナパルトは自分の傍に蹲《しゃが》み込む妃の体温を身に感じた。
「ルイザお前は何しに来た?」
「陛下のお部屋から、激しい呻《うめ》きが聞えました」
 ルイザはナポレオンの両脇に手をかけて起そうとした。ナポレオンは周章《あわ》てて拡った寝衣の襟《えり》をかき合せると起き上った。
「陛下、いかがなされたのでございます」
「余は恐ろしい夢を見た」
「マルメーゾンのジョゼフィヌさまのお夢でございましょう」
「いや、余はモローの奴が生き返った夢を見た」
 と、ナポレオンは云いながら、執拗《しつよう》な痒《かゆ》さのためにまた全身を慄《ふる》わせた。
「陛下、お寒いのでございますか」
「余は胸が痛むのだ」
「侍医をお呼びいたしましょうか」
「いや、余は暫くお前と一緒に眠れば良い」
 ナポレオンはルイザの肩に手をかけた。ルイザはナポレオンの腕から戦慄《せんりつ》を噛《か》み殺した力強い痙攣《けいれん》を感じながら、二つの鐶のひきち切れた緞帳の方へ近寄った。そこには常に良人《おっと》の脱《はず》さなかった胴巻が蹴られたように垂れ落ちて縮んでいた。絹の敷布は寝台の上から掻き落されて開いた緞帳の口から湿った枕と一緒にはみ出ていた。
 ナポレオンは寝台に腰を降ろすとルイザの脹《ふく》らかな腰に手をかけた。だが、彼は今ハプスブルグの娘に、自分の腹をかくし通した苦痛な時間が腹立たしくなって来た。彼は腹部の醜い病態をルイザの眼前にさらしたかった。その高貴をもって全ヨーロッパに鳴り響いたハプスブルグの女の頭上へ、彼は平民の病いを堂々と押しつけてやりたい衝動を感じ出した。――余は一平民の息子である。余はフランスを征服した。余は伊太利を征服した。余は西班牙とプロシャとオーストリアを征服した。余はロシアを蹂躙するであろう。余はイギリスと東洋を蹂躙する。見よ、ハプスブルグの娘――。
 ナポレオンはひき剥《は》ぐように、寝衣の両襟をかき拡げた。
 ルイザの視線はナポレオンの腹部に落ちた。ナポレオンの腹は、猛鳥の刺繍の中で、毛を落した犬のように汁を浮べて爛《ただ》れていた。
「ルイザ、余と眠れ」
 だが、ルイザはナポレオンの権威に圧迫されていたと同様に、彼の腹の、その刺繍のような毒毒しい
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