の石鹸ナ、あれは一グロス二両と四貫だ。あの品が躰裁が妙《おつ》に出来てるんで素人《しろうと》が惚込んで三ダースや四_ースは直ぐ売れる。それから歯磨ナ、あれは子[#「子」は「ネ」の代わりに使われ、小文字になつている]コ[#「子コ」に傍点]になつてる歯磨を升《ます》で買つて来て竜脳《りゆうなう》を些《ちつ》とばかり交ぜて箱詰にして一と晩置くとプン[#「プン」に傍点]と好い香がする、そいつをオンタケ散とか豚印とか好い加減な名を付けた袋へ入れて一と袋一銭五厘に売るんだ。奈何だい、商人の楽屋は驚いたもんだらう。尤も僕の商売は夏向で冬は閑な方だが、こゝ君達に一つ秘策を授けやうかナ。懸賞小説を書いたり政治家の尻馬に乗るより余程《よつぽど》気楽に儲けることが出来る。斯ういふ商売だ。牛込や神田には向かんが本所、下谷、小石川の場末、千住《せんじゆ》、板橋|辺《あたり》で滅法売れる、胼《ひゞ》あかぎれ霜傷《しもやけ》の妙薬鶴の脂、膃肭臍《おつとせい》の脂、此奴《こいつ》が馬鹿に儲かるんだ。なアに鶴や膃肭臍が滅多に取れるものか。豚の脂や仙台|鮪《まぐら》の脂肪肉《あぶらみ》で好いのだ。脂でさへあれば胼あかぎれには確に効く。此奴を一貝《ひとかひ》一銭に売るんだが二貫か三貫か資本《もと》で一晩二両三両の商売《あきなひ》になる。詐偽も糞もあるもんか。商人は儲けさへすりやア些と位人に迷惑を掛けても関《かま》はんのだ。今の大頭株《あほあたまかぶ》を見給へ、紳商面をして澄ましてやがるが、成立《なりたち》は悉皆《みんな》僕等と仝じ事だ。今でも猶だ其根性が失せないから大きな詐偽や賭博《ばくち》の欺瞞《いかさま》をやつて実業家だと仰しやいますヮ……」と滔々《たう/\》と縁日の口上口調で饒舌《しやべ》り立てる大気焔に政治家君も文学者君も呆気《あつけ》に取られて眼ばかりパチクリ[#「パチクリ」に傍点]させてゐた。処へ案内もなく障子をガラリ[#「ガラリ」に傍点]と開けて、方面《はうめん》無髯《むぜん》の毬栗《いがぐり》頭がぬうッ[#「ぬうッ」に傍点]と顔を出した。
「やア、片岡、奈何《どち》じやい?」と政治家は第一に口を切つた。
「ふゥむ、」と得意らしく小鼻を揺《うご》めかしながら毬栗頭は褪《は》げチヨロケ[#「チヨロケ」に傍点]た黒木綿の紋付羽織をリウ[#「リウ」に傍点]としごいて無図《むづ》と座つた。
「首尾よく落第かナ?」
「勿論及第しおつた、」と毬栗君は大得意で有つた。
「君、及第しましたか?」と新聞配達の小説家は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85、50−9]つた。
「諸君、最《も》う馬鹿にし給ふな、片岡禅吉は最早托鉢坊主ぢやないよ、明日辞令を請取《うけと》れば台湾総督府の巡査片岡禅吉ぢや。大いに新領土の経営をして日本国家に報ゆる覚悟ぢや。」
「壮快々々。一番片岡君の為《た》め祝宴を開いて万歳《まんざい》を称へやう、」と伊勢武熊は傲然として命令するやうに、「そこで会場は横町の牛店として駿河君は実業家ぢやから会費の半分を負担し、亀井君は懸賞小説が当選るさうぢやから登用人材の片岡君と共に残る半額を負担すべし。処で俺は当分志を得んから諸君の御馳走になるのぢや。あッはッはッ……。」



底本:「日本の名随筆 85・貧」作品社
   1989(平成元)年11月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第3刷発行
底本の親本:「社会・百面相」岩波文庫、岩波書店
   1953(昭和28)年2月
入力:渡邉 つよし
校正:門田 裕志
2001年9月20日公開
2003年5月25日修正
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