る無かるべし 宝珠是れ長く埋没すべけん 夜々精光斗牛を射る
     雛衣《ひなきぬ》
満袖《まんしゆう》啼痕血痕に和す 冥途敢て忘れん阿郎の恩を 宝刀を掣将《とりも》つて非命を嗟《さ》す 霊珠を弾了して宿冤《しゆくえん》を報ず 幾幅の羅裙《らくん》都《すべ》て蝶に化す 一牀|繍被《しゆうひ》籠鴛《ろうえん》を尚《した》ふ 庚申山下無情の土 佳人未死の魂を埋却す
     犬江親兵衛《いぬえしんべえ》
多年剣を学んで霊場に在り 怪力真に成る鼎|扛《ひし》ぐべし 鳴鏑《めいてき》雲を穿つて咆虎|斃《たお》る 快刀浪を截《き》つて毒竜降る 出山《しゆつざん》赤手強敵を擒《とりこ》にし 擁節の青年大邦に使ひす 八顆《はちか》の明珠皆楚宝 就中|一顆《いつか》最も無双
     妙椿《みようちん》
八百尼公技絶倫 風を呼び雨を喚《よ》ぶ幻神の如し 祠辺の老樹|精萃《せいすい》を蔵す 帳裡の名香美人を現ず 古より乱離皆数あり 当年の妖祟《ようすい》豈因無からん 半世売弄す懐中の宝 霊童に輸与す良玉珠
     里見氏八女
匹配《ひつぱい》百両王姫を御す 之《この》子|于《ここ》に帰《とつ》ぐ各《おのおの》宜きを得 偕老《かいろう》他年白髪を期す 同心一夕紅糸を繋ぐ 大家終に団欒の日あり 名士豈遭遇の時無からん 人は周南詩句の裡《うち》に在り 夭桃満面好手姿
     丶大《ちゆだい》
名士|頭《こうべ》を回《めぐら》せば即ち神仙 卓は飛ぶ関左跡|飄然《ひようぜん》 鞋花《あいか》笠雪三千里 雨に沐《もく》し風に梳《くしけず》る数十年 縦《たと》ひ妖魔をして障碍を成さしむるも 古仏因縁を証する無かるべけん 明珠八顆|都《すべ》て収拾す 想ふ汝が心光地に凭《より》て円《まろ》きを
     里見義成《さとみよしなり》
依然形勝関東を控ふ 剣豪犬士の功に非ざる無し 百里の江山掌握に帰す 八州の草本威風に偃《ふ》す 驕将敗を取るは車戦に由る 赤壁名と成すは火攻の為めなり 強隣を圧服する果して何の術ぞ 工夫ただ英雄を攪《みだ》るに在り

       『八犬伝』を読むの詩 補

     姥雪与四郎《おばゆきよしろう》・音音《おとね》
乱山|何《いず》れの処か残燐を吊《ちよう》す 乞ふ死是れ生真なり※[#「匚<口」、第4水準2−3−67]《がた》し 薄命紅顔の双寡婦 奇縁白髪の両新人 洞房の華燭前夢を温め 仙窟の煙霞老身を寄す 錬汞《れんこう》服沙一日に非ず 古木再び春に逢ふ無かる可けん
     河鯉権守《かわこいごんのかみ》
夫《そ》れ遠謀|禍殃《かおう》を招くを奈《いか》ん 牆辺《しようへん》耳あり※[#「こざとへん+是」、第3水準1−93−60]防を欠く 塚中血は化す千年|碧《みどり》なり 九外屍は留む三日香ばし 此老《しろう》の忠心|※[#「白+激のつくり」、第3水準1−88−68]日《きようじつ》の如し 阿誰《あすい》貞節|凜《りん》として秋霜 也《ま》た知る泉下遺憾無きを ※[#「木+親」、第4水準2−15−75]《ひつぎ》を舁《かつ》ぐの孤児戦場に趁《おもむ》く
     蟇田素藤《ひきたもとふじ》
南面孤を称す是れ盗魁《とうかい》 匹として蜃気楼《しんきろう》堂を吐くが如し 百年の艸木《そうぼく》腥丘《せいきゆう》を余す 数里の山河|劫灰《こうかい》に付す 敗卒庭に聚《あつ》まる真に幻矣 精兵|竇《あな》を潜る亦奇なる哉 誰か知らん一滴黄金水 翻つて全州に向つて毒を流し来る
     里見義実《さとみよしさね》
百戦孤城力支へず 飄零|何《いず》れの処か生涯を寄せん 連城且擁す三州の地 一旅俄に開く十匹の基ひ 霊鴿《れいこう》書を伝ふ約あるが如し 神竜海を攪《みだ》す時無かる可けん 笑ふ他の豎子《じゆし》貪慾《たんよく》を逞《たくまし》ふするを閉糴《へいてき》終に良将の資となる

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以上二十四首は『蓉塘集』中の絶唱である。漢詩愛誦家の中にはママ諳んずるものもあるが、小説愛好者、殊に馬琴随喜者中に知るものが少ないゆえ抄録して以てこの余談を結ぶ。
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[#地から1字上げ](昭和三年四月仏誕会)



底本:「南総里見八犬伝(十)」岩波文庫、岩波書店
   1990(平成2)年7月16日第1刷発行
底本の親本:「南総里見八犬伝 下」日本名著全集刊行会
   1928(昭和3)年
※旧仮名によると思われる引用文のルビの拗音、促音は、小書きにしませんでした。
入力:しだひろし
校正:川山隆
2009年8月17日作成
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