手当もしないで棄て置いたらしい。が、不自由しなかったという条、折には眼が翳《かす》んだり曇ったりして不安に脅かされていたのは『八犬伝』巻後の『回外剰筆《かいがいじょうひつ》』を見ても明らかである。曰く、「(戊戌《つちのえいぬ》即ち天保九年の)夏に至りては愈々その異《こと》なるを覚えしかども尚悟らず、こは眼鏡《めがね》の曇りたる故ならめと謬《あやま》り思ひて、俗《よ》に本玉《ほんたま》とかいふ水晶製の眼鏡の価|貴《たか》きをも厭《いと》はで此彼《これかれ》と多く購《あがな》ひ求めて掛替々々凌ぐものから(中略、去歳《こぞ》庚子《かのえね》即ち天保十一年の)夏に至りては只朦々朧々として細字を書く事|得《え》ならねば其《その》稿本を五行《いつくだり》の大字にしつ、其《そ》も手さぐりにて去年《こぞ》の秋九月本伝第九輯四十五の巻まで綴り果《はた》し」とあるはその消息を洩らしたもので、口授ではあるが一字一句に血が惨み出している。その続きに「第九輯百七十七回、一顆《いつくわ》の智玉、途《みち》に一騎の驕将を懲《こ》らすといふ一段を五行或は四行の大字にものしぬるに字行《じのかたち》もシドロモドロにて且《
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