た中に単《ひと》り馬琴が重視されたは学問淵源があるを信ぜられていたからである。
私が幼時から親しんでいた『八犬伝』というは即ちこの外曾祖父から伝えられたものだ。出版の都度々々|書肆《しょし》から届けさしたという事で、伝来からいうと発行即時の初版であるが現品を見ると三、四輯までは初版らしくない。私の外曾祖父は前にもいう通り、『美少年録』でも『侠客伝』でも皆謄写した気根の強い筆豆《ふでまめ》の人であったから、『八犬伝』もまた初めは写したに相違ないが、前数作よりも一層感嘆|措《お》かなかったので四、五輯頃から刊本で揃えて置く気になったのであろう。それからが出版の都度々々届けさしたので、初めの分はアトから補ったのであろう。私の外曾祖父というのは戯作好きでも書物好きでも、勿論学者でも文雅風流の嗜《たしな》みがあるわけでもないただの俗人であったが、以て馬琴の当時の人気を推すべきである。
このお庇《かげ》に私は幼時から馬琴に親しんだ。六、七歳頃から『八犬伝』の挿絵を反覆して犬士の名ぐらいは義経・弁慶・亀井・片岡・伊勢・駿河と共に諳《そら》んじていた。富山《とやま》の奥で五人の大の男を手玉に取った
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